星野歯科駒沢クリニック
HOSHINO DENTAL KOMAZAWA CLINIC
STAFF BLOG
患者さんにはご迷惑をおかけしてますがとても貴重な体験をさえていただきました。
今回、第25回与論島マラソンに参加させていただき、人間の原点を知ることができたように思います。人間はひとりではいけていけないことと日本人であってよかった!という思いでいっぱいです。東京のど真ん中で開業していると、このようなことが薄れてきてしまい、それが当たり前という感じになってしまいます。今回は忘れかけた本来の日本人の良さを知ることができ、自然の驚異や美しさを知り、助け合いの精神を思い返し、老若男女を超えてひとつになれたことがとてもいい経験となりました。
このような貴重な体験を生かしながら患者さんを健康にしていきたいと思います!
これ以降は私の個人的なことですので適当に読んでください。
人生の中での経験の中でも歴代10傑に入る経験
もともとの目標は50歳までにフルマラソンを完走するぞ!ということで昨年から今日の日までトレーニングをしてきました。年末の大晦日年忘れ皇居ハーフマラソンもそうでした。
なぜ 与論島なのか?
南の島 沖縄にとても近い島(鹿児島県の奄美)でフルマラソンをきれいな海で完走したいという思いからです。
歯科を開業して20年も経つと病院は自分のお城みたいなものになってしまいます。城内から城主が外に出ることはよほどのことがない限りないことでしょう。年を重ねると身を守る方向にいってしまいがちでしょう。
与論島はとても小さな全周20キロ人工5500人の小さな島です。この小さな島で25回にも及ぶマラソン大会を主催してきて、いまだに多くのリピーターがいるのはその小さな島にとてつもない魅力があるからではないでしょうか。
都会にはない何かがあるというのが一番の理由でしょう。私が感じたのは本来日本人にあるよさとか人間性、お互いを助け合うこと、みんなで協力すること、自然の驚異と美しさがこの島にはあるということです。
お金じゃない精神的なものです。
那覇もそうでしたけど、ここにきてお金はほぼ使うことがないです。自分のお酒のおつまみ程度です。
それと目的が同じ仲間はとても仲が良くなれるということです。与論にくると肩書とか年齢とかは全く関係のないものになります。隣にいる人とは瞬時に心が打ち解けていくことには驚きです。ハーフの20キロ、フルの42キロを周りの人が全員経験しているから共感できるのです。あの苦しみを全員が知っているからすぐに打ち解けることができました。
与論島は宿が少ないので予約しても個室は取れません。与論環境協会の人にお任せで相部屋で宿泊となりました。学生以来の相部屋です。それでも目的はマラソンなのですぐに打ち解けてしまいます。学生時代の大学の合宿部屋のようです。
今回は40歳のkさん男性と2日いっしょでした。フルマラソン、トレイルラン、トライアスロンなど経験者で医学療法士だったので長時間の走りや彼の病院の話から私のインプラントの話まで話が尽きることなくとても仲良くできました。
宿泊は海水館、合宿にむいた民宿です。
大会の前日には島民からのウェルカムパーティーが体育館であり、ランナーと島民の集いとなりました。島唄、踊り、島の特産の島有泉 黒糖焼酎もあり、歓迎していただきました。
座った席もマラソンランナーで満席となって、誰かと必ず相席となって今後は66歳ので男性や30代ぐらいのカップルと知り合いになりました。66歳の方は富山県出身でリタイア後の趣味としてフルマラソンに参加しているようでした。17歳も年上で下が意気投合していろんな貴重な体験話を聞くことができました。66歳でもとてもアクティブな方でピースボートにも参加されていました。こういう人たちは年齢の割にとても若くに見えます。偶然にも同じ宿でそれからも最後まで行動することになりました。
ここまでも相当に貴重な体験でしたが本番のフルマラソンでは久しぶりの苦し体験となりました。
あまりにハイテンションな前夜で床に就いたときは瞬時に爆睡し、起床の6時ちょっと前になっていました。前夜から暴風雨で窓が軋む音を聞きながら起床となり、雨のスタートとなります。
開会式には一瞬晴れ間が見えたもののすぐに雨となりました。自分もマラソンにエントリーして初めて気づいたのですが、このコースは坂が多くてマラソンではかなり厳しい上級コースということでした。下見でみた感じでは8キロ時点から昇竜橋まで3キロほどきつい登りが続き全コースを通して平坦な部分はあまりなく直線も少ないコースでした。
昇竜橋を目指してペースを温存しながら13キロのもうひとつの坂も順調に通過しかなりいけるという感じがありました。
沿道にはおじいおばあの三線あり、給水所には小学生からの差し入れあり、多くの住民の声援から何度も息を吹き返すことができました。それでもどの区間でも雨が降りそそぎ、道は洪水のような冠水があり、くつも完全に水を吸ってじゃぽじゃぽと音が鳴りなかなか厳しい状況でした。
21キロの折り返し時点では割と好記録だったのが30キロ前後から急に足に痛みが来て全く上がらなくなりました。30~35キロの壁を始めて経験してかなり悔しい思いです。
結果としては30キロまで走り残り10キロは足が上がらなくなり、歩きばかりで最後の1キロだけ気力で走り、ゴールとなりました。同部屋のkさんはサブ3を軽く達成でゴールでカメラを構えて待ってくれたました。ありがとうございます! 島民の方の温かい声援や途中の差し入れの黒糖やヤギ汁、おにぎり、で頑張れました!
90歳のランナーも制限時間7時間に入り完走したようでした!すごい!
完走後は再び島民全体でのパーティーで完走者を祝ってくれます。昨夜と同じく舞台で民謡あり、大会記録者の表彰などいろいろです。
そして途中からは島の黒糖焼酎 島有泉で献杯の嵐となり会場は熱気に包まれながら最後は島出身のシンガーソングライターのバンドと歌で全員が舞台前で肩を組んで盛り上がりお開きとなり、全員が再び次の大会に出場することを誓い合いました。素晴らしい夜でした。与論島最高!
翌日は同じ宿の方は帰国(地元へと)散らばっていきました。その散らばる前に昨日とは全く違う与論島の美しい景色、百合が浜は与論ブルーと呼ばれるエメラルドグリーンの浜でした。こちらもグラスボトムボートに乗り合わせた女子大生と観光会社にお勤めの方。すぐにみんなで打ち解ける魅力のある与論島でした!
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